「見えないけど、いる」

先日、母の一周忌を迎えました。

それなのに、私、命日をすっかり忘れてました。
去年のその日は、あれだけ母を失って泣いたり
茫然として実感もなくて、
そして、お葬式の準備でばたばたして…そんな日だったのに。

夫のほうが、覚えてたくらいです。

思い出したのは、カレンダー見てて、11月22日と目に入ってきて、
「あ、今日、お母さんの命日だった!」って急に。

親不孝な娘でしょうか?

私には子どもがいないから、子どもに自分の命日を忘れられたら
寂しいって思うのかどうか、想像でしかないけれど。

うちの母の性格から考えるに、

「それでいいよ」と言ってる気がしますね。

いつまでも自分の死を悲しんで、グズグズ言っているよりも。
「忘れちゃった。ごめんごめん」
って、娘が自分の生活を人生を元気に歩んでくれてるほうがうれしい。

子どもが幸せに暮らすのが、一番の親孝行だよ
って思う気がするんです。

まあ、もう長いこと一緒に母とは暮らしていなかったので、
余計にいなくなった実感がないともいえます。

でも、母が亡くなり、自分にとって一番近しい人がこの世を去って思うのは
死んでも、死んでないってことです。

「見えないけど、いる」
ってすごく感じるようになりました。

亡くなる前は、遠く離れた場所に確かに生存して存在してるのですが、
思い出すこともなく
電話したりはするけど、母っているのが当たり前だから
母のことを取り立てて考えない。

でも、亡くなってからのほうが、いる、って感じるんです。

あ、霊的現象じゃないです。
わたし、幽霊みたことないので。

本当に、そこらへんにいるなって感じがする。
でも、会えないから、時々泣いちゃうこともありますけどね。

命日、忘れちゃってごめんね。
母の好きだった、バラの花とともに、
今日は母の事を考えてます。

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