今日は母の誕生日です。
亡くなってから5回目のこの日がめぐってきました。
母の誕生日には、深紅のバラを飾る、そんな日になっています。
バラは母が好きな花でした。
でも、それを知ったのは亡くなったあと。
死後数日たってからひょっこり出てきたノートに
「お葬式はバラを飾って讃美歌を流してください」と書いてあったんです。
ノートを書いた頃にはすでに文字を書く力もなく、看護師さんの口述筆記ではありました。
このほかにも家族への感謝の言葉がひとりずつあったんです。
お葬式についてはなぜか後ろのほうに書いてあったので、誰も気づきませんでした。
ノート発見からさらに時間が過ぎたころ、偶然見つけた父が急に「あっ」と声を出して涙を流したのです。
すでに仏式のお葬式が済んでしまっており、家族全員が悔やんだのは言うまでもなく。
そんなさりげないことをしないで、はっきり伝えてくれたらいいのに。
もしかしたら、ページが飛んで見つけにくくなっていたのも、あえて、だったように今は思います。
本人はやっぱり「死にたくない」から、お葬式のことを口にしたくなかったのではないかな。
私は母がバラが好きだなんて、全く知らなかった。
讃美歌は一体どこから出てきた話だったのか。
そのときは理由を突き詰めることはしませんでした。
でも、昨日気になって叔母に「お母さんがバラとか讃美歌好きだったって知ってた?」
とメールしてみました。
叔母によると、讃美歌は札幌の実家の近くに教会があり、親しみがあったと。
バラは昔から好きだったそうです。
加藤登紀子の「百万本のバラ」という歌が好きだったらしく、
「お父さん、お母さんにバラの花束を贈ってたでしょ」
とまったく知らないエピソードすら出てきました。
私にとって、母は母親であり、ひとりの人間としては見ていなかった。
誰でにもいくつもの顔があって、その中のひとつにバラ好きの女性もいた。
40代の半ばをすぎて、ようやく気付けたこと。
きっとほかにも知らない顔がたくさんあったと思います。
もしかしたら、また何かひょっこり出てきて、新たに母と出会うことがあるかもしれない。
薔薇の花を見ながら、そんなことを考えています。
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